Buono!の新曲入手における行動学の学習効果←大嘘

フラゲ日もしくは発売日に
地元の最大手店舗Aに走る→初回限定盤売り切れ
 →少々しょぼいが他の大型店Bに走る→購入できた!


これを過去に3回ほど繰り返した。


さすがに毎度毎度同じ轍は踏みたくないので今日は最初から大型店Bに走る
 →初回限定盤売り切れ!


しぶしぶ泣く泣く最大手店舗Aに走る
 →初回限定盤も通常盤もほどよき在庫でもちろん購入できた!


学習効果完璧に裏切られる。


閑話休題



「MY BOY」
何度か聴いてみて、
「初見時には随分と酷い扱いしましたなぁハハハ」
「まあまあ印象はあまり変わってはおりませんが
 悪い曲だなんてことは一回も言ってませんよ」
「たぶん何かを打ち破ろうとの意図があっての楽曲なんでしょう」
「イケイケのときに出せばかなりの高評価を得られると思います」
まそれにしたって生演奏は諦めたかのようなアレンジですが。


「ワープ!」
ショートバージョンを小汚い音源でしか聴いてなかった。
あらためて『Buono!っぽい!』の感想に尽きますね。
だからそれでいいのか?との疑問にも繋がっても不思議はありません。
期待を裏切らない→飽きられる
を否定する理論武装はめんどくさいです。
ヲタはいいんですよヲタは。
裏切られたくない人間の集団ですから。
路線変更なんかしたら
『こんなのBuono!じゃないやい!!』
って言い出すのはヲタなんなんで。
そうやって考えるとモーニング娘。は、
曲調に「モーニング娘。らしさ」なんてあまり意識はしなかった。
少なくとも僕はね。
モーニング娘。にはスタイルとか匂いとか(ry
 続きは酒場で(笑)


嗣永桃子
桃子はどこまで行っても桃子なんだけどBerryz工房嗣永桃子と全然違うでしょ?
誰も言わないから自分で言うんだけどね。
かっこいいVer.とかRocker Ver.の桃子 では片付けたくない
Buono!嗣永桃子」があります。


ZYX嗣永桃子」を思い出してみてください。
今思えば前田憂佳cみたいな声で(例えが逆!逆!)
『ひ〜と〜り♪』と歌っていた彼女ですが
そのときの表情は「Buono!嗣永桃子」なんですよね。


さっぱり理解できないでしょう?(笑)


太いです。
声が、じゃなくて存在が。


ZYXの時は小さな大先輩矢口さんがいた。
パートも少なくて本格的な音楽活動に対するプレッシャーよりも
楽しさの方が勝っていたかのような図太さがあったのでは?


そしてBuono!では3分の1という今までにないポジション重要度や
リーダー(笑)という立場やBuono!そのものが若干アウェーな(少々大げさ)な環境におかれていること。
そして何よりも彼女たち自身も「ベリとはちょっと違うぞ」と感じているに違いないその世界観。


そういったものに対する挑戦の気持ちや「やる気」みたいなものが彼女をより大きな「太い」存在にさせているような気がします。





と、なんだかいかにもな話もたまには書いておこう。
あまり真剣に読まないように。